お知らせ

突然変異を利用した作物育種の安全性と重要性に関する声明

 作物の種子や植物体にガンマー線やイオンビームを照射するなどして人為的に作出した突然変異個体を利用して品種改良を行う手法を突然変異育種法とよんでいます。わが国では突然変異育種法により数多くの主力品種が育成され、半世紀以上にわたって安全・安心な食料の生産に貢献してきました。人口増加や地球規模での環境変動という課題に直面している現在、これらの課題に対応できる新品種の開発が不可欠であり、そのために突然変異育種の貢献が求められています。しかしながら、突然変異に対する誤解に基づく懸念の声がSNSやネット上で散見されます。そこで、突然変異育種について科学的知見を整理して提供するとともに、日本育種学会の考え方を共有させていただきます。

〇「突然変異はどれも危険」ではなく、作物の進化、多様化の原動力

 地球上に生命が誕生して以降、生物は進化を続けていますが、これを可能にしたのが遺伝子の自然突然変異による機能改変です。突然変異は遺伝子の実体である二本鎖の長いひも状の化学物質であるDNA(デオキシリボ核酸)の塩基配列の変異であり、細胞分裂の際にまれに起きる複製エラーや自然放射線などによる切断時の修復時に起きる修復エラーによって生じます。この突然変異は自然界でゲノム中のどこにでもランダムに、また遺伝子領域、非遺伝子領域の区別なく起こります。ほとんどの突然変異は遺伝子の機能に影響を与えない無害な変異であり、成長に悪い影響を及ぼす突然変異はごくわずかに起きますが、自然界では淘汰されます。生物にとってメリットがある突然変異も非常に低い頻度で起きます。したがって、「突然変異はどれも危険」ではなく、むしろ作物の進化、多様化を可能にした原動力であります。

 作物の品種の違い、つまり、生物種内における多様性も自然突然変異によるものです。野生種から作物への進化を専門用語で栽培化と呼びますが、栽培化関連遺伝子群の有用自然突然変異が古代の人々に選抜され、その結果、多くの作物が生まれ、農業が開始され、それが世界各地での人の文明の誕生に大いに貢献しました。さらに、長年にわたる作物栽培の間に、自然突然変異や自然交配によって出現したものの中から農民が選抜を繰り返した結果、地域固有の在来品種が成立し、私たちの食生活を多彩にしています。身近な例としては、根の長さ、太さ、大きさが多様に異なる日本のダイコン品種(桜島大根、守口大根など)などが広く知られています。

〇「自然突然変異」を利用した品種改良とその限界

 在来品種は役立つ自然突然変異をたくさん持っており、育種に不可欠な遺伝資源として、生産量の向上、栽培地域・時期の拡大、品質の向上などを通じて日本や世界の人口を支える食料生産に大きく貢献してきました。よく知られているのが1960年代の「緑の革命」で、半矮性品種の育成によりイネ、コムギの単位面積当たり収量が2倍以上に増加しました。半矮性育種を可能にしたのが、イネでは低脚烏尖(台湾)由来のsd1遺伝子、コムギでは農林10号(日本)由来のRht遺伝子、それぞれの自然突然変異であります。また、明治以降に見出された複数の早生変異(自然突然変異)のおかげで、北海道で稲作できるようになりました。

 地球規模での環境変動、進化し続ける病害虫、食へのニーズの多様化などの人類的課題に直面している現在、新たな画期的品種の開発が求められており、このために遺伝資源の中から有用遺伝子をもつ品種を探しますが、目的の役立つ変異を見つけられないこともあります。そういった状況でも、品種改良を先送りすることはできません。例えば、新たな病気が発生した場合、抵抗性品種を育成するか、新たな農薬開発に期待するしかありませんが、生産コストや安全性を考慮すると抵抗性品種の育成が望まれます。このためには、有用な新機能遺伝子を突然変異により創出し、育種選抜を経て新品種を開発する必要があります。

〇人為突然変異を利用する突然変異育種は安全・安心な育種法

 わが国において人為突然変異育種が本格化し始めたのは1950年代の終わり頃からであり、すでに70年以上の歴史があります。当初はガンマー線などの放射線が主に使われ、1990年代の終わり頃からイオンビームも使われています。

 人為突然変異により育成された品種として、わが国の水稲品種「レイメイ」(1966年育成)がよく知られています。本品種は、水稲品種「フジミノリ」の種子へのガンマー線照射により作出されました。耐冷性や草丈が低く倒伏耐性に優れるなどの特性により東北地方を中心に広く栽培され、1970年の作付面積ランキング第4位という主力品種としてわが国の食料生産を支えました。また、その後も「レイメイ」を先祖に持つ品種が多く育成、利用されています。果樹では、ガンマー線照射により作出されたナシ黒斑病抵抗性のゴールド二十世紀が利用されています。さらに最近では、カドミウム低吸収性イネ品種「コシヒカリ環1号」がイオンビーム照射により作出され、これを交配親として「あきたこまちR」などが育成されています。

 「突然変異はどれも危険」という考えは誤解に基づくものです。実際の突然変異育種では、人の生活にメリットがある突然変異をもつ個体・系統を繰り返し選んで、さらに何度も試験栽培して、悪い影響がないことを確認したものが新しい品種となります。つまり、非常に厳しい選抜を経て、多数個体から選ばれた優良で安全な系統だけが大規模に栽培され、市場に出回っています。

 また、よく誤解されますが、ガンマー線もイオンビームも、放射能を持つ物質いわゆる放射性物質ではありません。さらに、ガンマー線やイオンビームが物質に当たった時、その原子核が不安定化されたとしても、ごく短時間で安定化するので、照射した種子やその後代(子孫)が放射線を出すという事実も全くないのです。最近、「人体に有害なガンマー線やイオンビームを使った作物品種の安全性を懸念する」という意見が散見されますが、明らかに誤解です。上記の水稲品種「レイメイ」およびその後代品種がすでに70年以上にわたって生産、消費されていることからも明らかです。

 繰り返しになりますが、イオンビーム処理個体を栽培する水田や畑が放射線で汚染されることはなく、育っている植物や収穫した種子から放射線が出ることもありません。育種選抜では、子孫を何世代にもわたって栽培して有用変異の選抜、劣悪変異の淘汰を繰り返して新品種を育成しますので、生産者が栽培する種子が放射能汚染されているという批判もただのデマです。

〇突然変異の確率が違う自然突然変異と人為突然変異

 「人為突然変異はよくわからないから不安」という意見がありますが、自然突然変異と人為突然変異に関わりなく、突然変異の実体がDNA塩基配列の変異であることが、ゲノム科学の進展により明らかになっています。

 世界のジーンバンクには78万系統のイネ品種が保存されていますが、そのうちの約3000系統のゲノムを比較したところ、約3億8千万塩基対からなるゲノム中の約3000万カ所でDNA配列の変異(塩基置換、欠失/挿入、染色体構造変異)が検出されています。わずか3000系統だけですが、十数塩基に1カ所の配列変異です。自然突然変異が起きるのは低頻度ですが、莫大な数の個体が数千年以上にわたって栽培されてきた結果として、多数の変異が蓄積されたことがわかります。

 これに対して、ガンマー線やイオンビームを照射したイネ突然変異系統ではDNA配列の変異がゲノム全体で60~80カ所で起こっています。例えば1回の処理で10000個体の変異体を作出した場合には全体として60~80万カ所です。長年かけて蓄積された自然突然変異と比べると桁違いに少ないですが、極めて高頻度に突然変異個体を獲得できることが明らかです。また、誘発される人為突然変異の種類(塩基置換、欠失/挿入、染色体構造変異)は自然突然変異と本質的に同じです。

 なお、人為突然変異では自然突然変異になかった配列変異を作出できますが、この理由は「人為突然変異で何か特別なことが起こっている」からではありません。自然突然変異の場合には適応的に不利な配列変異が淘汰されてしまっていますが、人為突然変異の場合には不利なものも含め配列変異のほぼすべてを得ることができます。配列変異が適応的に不利か有利かは地域・環境や時代によって変化し逆転します。草丈が低くなる半矮性は痩せた土地では劣悪形質で淘汰されますが、肥沃な土地では倒伏しないなどの理由で収量が増える有用形質です。したがって、自然突然変異でかつて起こったが淘汰されてしまったであろう配列変異を人為的に効率よく再現し、現代の生産環境で有用性を発揮する配列変異を選抜しているのが突然変異育種と言うこともできます。

〇日本育種学会の見解

 育種に関わる技術者・研究者集団として、半世紀以上にわたる基礎・応用研究の成果に基づき、突然変異育種について解説しました。安全・安心な食料の安全保障のためには不断の品種改良が不可欠です。自然突然変異の中に有用変異遺伝子を見いだせない場合には、何らかの方法により有用遺伝子を作出する必要があります。このために突然変異育種が利用されてきましたし、今後も、重要で不可欠な育種法の一つとして積極的に推進する必要があります。