
武田和義先生は,昭和18 年6 月3 日北海道に生まれ,昭和41 年3 月北海道大学農学部を卒業後,昭和46 年3 月北海道大学大学院農学研究科博士課程を修了し,弘前大学農学部助手,同助教授を経て,昭和56 年4 月岡山大学助教授,平成2 年11 月資源生物科学研究所教授,平成4 年4 月大麦系統保存施設長(併任),大麦・野生植物資源研究センター長(併任),平成16 年4 月同所長(併任)に就任し,平成21 年4 月に岡山大学名誉教授となられました.
武田先生は,一貫して,植物育種の分野でお仕事をされ,作物における実用形質の発現と環境との相互作用,特に病害による生物的ストレス,ならびに砂漠化や湿害をはじめとする非生物的環境ストレスに対応する作物の反応性や抵抗性を主たる目標として研究を続けられました.武田先生は,統計遺伝学,分子遺伝学的手法を駆使して,イネ,コムギ,エンバク,オオムギ,リンゴなど,広範な作物の遺伝的能力の開発を通じて,遺伝資源利用の可能性を拡大し,植物育種学の分野に新しい研究領域を構築する上で,特筆すべき成果を収められました.その過程で,武田先生が発表された研究報告は,180 編を超え,国の内外における遺伝育種科学の発展と農業生産力の増大に対して,多大な貢献をされました.この業績によって日本育種学会賞,日本農学賞を受賞され,さらに日本学士院賞を受賞されたことにその高い評価が伺えます.
また,武田先生は科学研究費補助金による作物の遺伝資源収集の国際学術研究,科学技術振興機構(CREST)によるオオムギのゲノム研究,ナショナルバイオリソースプロジェクト中核機関(オオムギ)など,我が国の農学および生物学研究の中核となる重要な研究の研究代表者として,若手あるいは中堅の研究者を指導し,国際的に評価の高い成果を挙げられました.
武田先生が研究活動の拠点とした岡山大学の大麦・野生植物資源研究センターは我が国におけるオオムギ遺伝資源の研究・保存の中核として位置づけられ,1940 年代から活発に収集・研究活動を展開しており,先生はそのセンター長としてオオムギの系統進化,農業形質の遺伝解析に大きな成果を挙げられました.
さらに武田先生は,中国科学院の要請によって,中国の黄河下流域に広がる高塩類集積,半乾燥土壌からなる黄准海平原(我が国の総面積に相当)に,1990 年から10 年間にわたって,1 万を超えるコムギおよびオオムギ品種を栽培し,選抜と評価を繰り返して,画期的な高度ストレス耐性コムギ品種の導入に成功しました.その功績により,武田先生は2000 年,中国科学院石家庄農業現代化研究所から,名誉教授の称号を授けられました.この他にも企業との共同研究の成果として,ビールの風味を改善する脂質酸化酵素欠損をもたらすオオムギ遺伝資源を発見し,カナダでの実用品種育成に貢献しました.
武田先生は,日本育種学会の副会長および会長として様々な改革を実行し,若い会員や幹事からも慕われる中核的存在として,学会から指導を求められました.また,学会長の任期終了後,日本学術会議の会員(農学基礎,植物育種)として,6 年間我が国の学術政策の策定にあたられました.また,多数の農林水産省および文部科学省の評価委員,運営委員を歴任し,我が国の農業政策と農業研究への提言をされました.
武田先生は,これらの卓越した業績によって,2017 年に瑞宝中綬章を受賞されました.
一方,家庭での武田先生は愛妻家で,高校時代の同級生である奥様と旅行や食事に行かれるのを楽しみにされました.また,お酒も大変お好きで,食事のあとの会は最後までお付き合いされました.私が武田先生の助手として採用された40 代半ばの先生は,体力も気力も超人的で,オオムギとイネの圃場での研究をしながら,中国に年に数度出張し,その合間に教科書を書き上げるといった具合でした.その後,学会や公的用務が増えるにつれて,現場の仕事の多くを他に任せ,公の場での要職で重要な提言をされました.
岡山大学を定年退職される少し前に腰の不調を訴えられて,手術を余儀なくされました.それからはやや体調を崩されて,歩くのがつらくなってから要職からも身をお引きになりました.その後はご家庭で仲良しの奥様と一緒に過ごしておられましたが,たびたび入院治療を受けることもあり,今年5 月の入院の際には肺炎を併発されて,誠に突然ではありましたが,残念ながら帰らぬ人となってしまいました.
武田先生のお話は,極めて論理的に構成されており,その語り口の鮮やかさと説得力は天性のものがありました.また,絵もお上手で,セミナーで板書されるグラフや図も明快でした.論文や原稿も驚くほどの速さで書かれましたが,それは頭の中ですでに全てができていて,あとはそれを書くにすぎなかったからでした.まさに論文を書く職人でした.このことは,2 年間の米国アイオワ州立大学での客員研究員および客員教授としての滞在中に13 報の論文を出版し,ホストだった後の米国農学会長のK. J. Frey 教授を驚嘆させたというエピソードによく表れています.
このように武田先生は学者としての真理を追究する高い研究心,そこから生まれた輝かしい研究業績,さらには研究環境に対する並外れた管理能力によって,我が国を代表する農学者として,学会のみならず多くの皆様から大きな期待を寄せられていました.また,その愛すべきお人柄は,周りの多くの方々から慕われていました.この偉大な先生を失ったことは誠に残念ですが,しばし呆然としながらも,後を託されたものの一人として,ご存命中のお言葉を今一度思い起こして,胸に刻んでいるところです.
(佐藤和広)